昨晩のうちに記事を書こうと思ったけど、あまりの眠さに無理だった。。。
宵っ張りの私もさすがに今週はかなり疲れたぞ・・・。
さて、このシンポジウムでのsecurecatさんの基調講演はプレゼン資料のスクリーン表示がなかったけど、聞きやすかった。。。。という感想はmixi日記にも書いたので、ここには別のことというか私が思ったことの補足を書いとく。
「アクセシビリティ=制作者にとっては制限や制約」
「アクセシビリティ=障害のある人達のための特別な対応」
という風に思われがち。
とはいえ、
「ある状況においては健常者であっても瞬間的には障害を持っているのと同じ状態が起きうるので、実は特定の誰かのためっていうわけでもない」
ということを前提にしますが、
この一連の流れで思ったのは、制作者側だけじゃなく使う側も、アクセシビリティの高いものを使うということに関して意識改革が必要なのでは?ということ。いや、別に使わなくて済むのだから使わなくてもいい、という選択肢はあると思うんだけど、そんなものがあることを知らなかったとか、そもそも使うことを思いつかなかったとか、そういう状況がけっこうあるのではないかと・・・。あるいは、アクセシビリティの高いものは障害を持っている人のためのものだから、健常者の自分が使うのは格好悪い気がする、みたいな偏見とか!?
荷物を持っていて片手が使えない時はこのモードで使おうとか、野菜切りながら火加減も見て手も濡れてるし目が離せないから、text to speechを使おうとか。運転中という様々な制約事項がある環境において、ドライバーは多分「自分は一時的に障害を持った状態になっている」とかネガティブなことを思ってるわけじゃなく、ただ「運転中に便利」という好意的な印象で、テレマティクスのようなドライバーを考慮したサービスを利用していると思う。
こういう感覚がもっと日常生活の普通の人々の生活に浸透するといいんじゃないの?と。
「アクセシビリティ=障害を持っている人のための対応」ではなく
「アクセシビリティ=状況に応じて便利に使えるモードの1つ」
みたいな捉え方ができると、より利用者が増え、結果的にアクセシビリティへの理解が深まるような気がした。
って、そもそも、なんとなくネガティブな印象持ってる遅れてる人は私だけだったりしてw
で、もっと言うと、この使い方・使われ方をデザインしていくことも必要だなと思った。
「変革期のウェブ ~5つのキーワードから読み解くウェブとビジネスのこれから~ (マイコミ新書)」という本の中で、株式会社リンクシンクの鵜川太郎さんという方が、サービスとしてのウェブについて『発明者というのは、モノをつくるのではなく「使い方」を発明する人』と言っていて、さらにデジハリの安藤直紀さんが「わかりやすい使い方をわかりやすいカタチで定義できる人がすごい」とまとめている。
まさにこれ!「こういう状況の時に、こんな使い方ができるよ!こう使うと便利だよ!」ということを提示し、「あ、そうか!」というひらめきをもたらしてくれるような、そんな問題解決者がでてきてくれるといいなーとか。(なぜか上から目線な上に、他力本願♪)
では、よろしくお願いします(謎)
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